ボード界の様々な社長達にインタビューしていく連載企画【社長にインタビュー】第3弾では、日本で初めてスノーボードを開発したMOSS SNOWBOARDSの歴史をご紹介します!日本のスノーボードはここから始まったと言っても過言ではありません。早速ご紹介していきます!
インタビューしたのはこの方!
名前:田沼進三
当時アメリカで流行り始めていた、スノーボードと呼ばれるものを、日本で初めてスノーサーフィンとして販売を開始した創始者。元々サーフィンをしていたことから、サーフボードからヒントを得て自作板を制作。1979年に世界初となる固定式ハードバインディングを装備したMOSS SNOWSTICKの販売を開始したレジェンドです!
始まりはサーフィン
━━━最初にスノーボードを日本で作った会社と伺っています!きっかけは何でしたか?
田沼:元々サーファーでした。現在サーフィンはウェットスーツがある為冬でも出来ますが、当時サーフィン文化が入って10年程だったので、まだウェットスーツがなく、冬にサーフィンをする習慣がありませんでした。そのため、冬はサーフボード作りの仕事もそんなに多くなく、時間に余裕があったんです。そこで「冬も楽しめるものを」と考えて、生まれたのが「スノーサーフィン」です。雪の上でサーフィンをするということから、そう名付けました。
━━━スノーサーフィン?面白い名前ですね。流行りましたか?
田沼:流行りましたよ。1982年〜85年に「オールジャパンスノーサーフィングランプリ」を弊社が開催しました。その後ショッピングモールの丸井主催で「丸井スノーサーフィングランプリ」というものまでありましたよ。
丸井カップ動画はこちら
━━━丸井ですか!イメージありませんでした。
田沼:当時、丸井でもサーフィンやスノーボードを売っていたんです。クレジットカードの会社でもあるので、高価なボードを分割で買えるサービスを初めて作ったのも丸井だったんですよ。
━━━いつスノーボードという名前に変更されたんですか?
田沼:あれは1978年ごろでした。BURTONがエキスプレスシリーズというモデルを発売し、その製造方法はスキーの作り方でした。そしてBURTONがスノーボードという名前で世界に普及させていく時代になっていき、弊社もスノーサーフィンとは別のシリーズでスノーボードという名前を使うことになりました。それからはスノーサーフィンのシリーズとスノーボードのシリーズをラインナップに加え平行して販売しています。
田沼:スノーボードに名を改めた際に、初めて設置したビンディングは、スキーを参考にして作っていました。
━━━見様見真似でつくるなんて凄いですね!
ブランドコンセプトは楽しいスノーサーフィン、スノーボード
━━━今もスノーサーフィンはあるんですか?
田沼:MOSSではスノーボードとスノースティックシリーズがあります。水の上を滑っているサーフィンをそのまま再現したのがスティックです。サーフィンのように雪の上を滑ることが体感できます。
MOSSのボードは初心者でも簡単に乗れるの?
田沼:初心者でも大丈夫なのですが、こだわって作っているため価格帯が少し初心者ボードにしては高くなっています。価格的には7〜8万円くらいのものがどなたでも乗れる板で、9〜10万円のものが中上級者さん向けといった形になります。
初心者用におすすめできるボードのモデル
田沼:初心者におすすめのモデルだと、MOSSスノーボードシリーズのtotoと言うモデルになります。見た目は通常のキャンバーボード(平らな面においたときに、地面と板の間にできる隙間がある板のこと)なのですが、乗るとキャンバーが短くなり初心者から上級者まで板の操作がしやすいのが特徴です。
時代と共に変化する遊び方
ユーザーと共に開発してできるニューモデル
━━━ボードを作る上で心がけていることはありますか?
田沼:ユーザーが楽しめる板を常に心がけています。最近はバンクドスラロームの流行やパウダーランをする方が増えてきているので、時代の最先端を目指すよう開発に力を入れています。
━━━なるほど。>開発者ライダーがたくさんいるのは、最先端の時代を作るためだからですね!
田沼:はい。とてもいい仲間です。ですがMOSSは開発ライダーだけでなく、一般ユーザーの意見をたくさん取り入れています。大規模試乗会はもちろんですが、20〜30人を相手に行う試乗会をとても大切にしています。そこから意見を集約して板の開発に繋げているんです。
━━━とても大切なことですね!
━━━最後に今後の目標を教えてください。
田沼:雪、波が有る限り、楽しいスノーボード、サーフィンを提供することです!
まとめ
いかがでしたか?MOSS SNOWBOARDSの会社には時代を感じるボードがたくさん置いてありました。社長がいなかったら今の自分たちはスノーボードを楽しめていなかったんだろうなと思うと、改めて社長の凄さを感じます。海も山もどちらも楽しめる横ノリウーマンになりたいですね!田沼代表ありがとうございました。