推定年収2億円超!?日本が誇る五十嵐カノア選手ってどんな人物?スポンサーや生い立ちをご紹介

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東京オリンピックで初採用となったサーフィン競技。日本代表選手として選ばれ、注目を集める五十嵐カノア選手です。カリフォルニア州で生まれ育った彼は幼少の頃から数々の成果を挙げてきました。今回は五十嵐カノア選手の生い立ちや実績ついてご紹介します。

五十嵐カノア選手の生い立ちは?両親はサーファー?

日本を代表するプロサーファー・五十嵐カノア選手は、1997年10月1日に誕生しました。

かつて夫婦ともにプロサーファーであった父の勉さんと母の美佐子さんは、サーファーとして恵まれた環境を求め、そして実力を高めるために、アメリカ合衆国・カリフォルニア州へと渡米します。そんな両親のもとで、五十嵐カノア選手は誕生したのです。

日本人でありながら珍しい「カノア」という名前の由来は、ハワイ語で「自由」という意味を持っています。生まれながらにしてサーフィン文化を授かった五十嵐カノア選手は、幼少の頃からさまざまな実績を残すこととなりました。

「子どもを世界に通用するような人材に育てたい」という両親の考えもあって、3歳からサーフィンを始めます。幼いながらも実力を身につけて、6歳でローカルコンテスト「Kids For Clean Waves」で優勝。

サーファーである両親のもとで生まれ育ち、幼少の頃からサーフィンに明け暮れた五十嵐カノア選手ですが、サーフィンの環境だけではなく家族仲や兄弟仲にも恵まれています。

唯一の兄弟・弟のキアヌさんとはとても仲が良く、大会では一緒にいるシーンをたびたびライブ中継で写されているのです。兄弟そろって高身長で爽やかなルックスをしており、正にイケメン兄弟といった風情があります。

小さい頃からサーファーとして大活躍し、世界中の海を駆け巡った五十嵐カノア選手は、誰とでも馴染める性格を持ち前に、どんどんと交流の輪を広げて行きました。その結果、日本語以外に英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語と、5ヶ国語も話せる語学力を備えるまでになっています。

語学が堪能なだけでなく頭脳明晰なところもあり、なんと高校は2年飛び級の15歳で卒業してしまうといったエピソードまで持っているほどです。正に「文武両道」の、スポーツも勉学も優秀な選手として知られています。

持ち前の人懐っこさや、どこでも馴染んで適応できる性格を武器に、五十嵐カノア選手は世界中の海で大活躍しました。どこに行ってもそこがホームだと思い適応できる感性は、彼の素晴らしいパフォーマンスに直結しているのかもしれません。

そんな五十嵐カノア選手はアマチュア時代に数々の成果を残し、着実にキャリアを形成していきます。

プロとしての実績やスポンサーは?

アメリカ合衆国・カリフォルニア州で生まれ育ち、サーフィンの聖地と呼ばれるハンティントンビーチで3歳からサーフィンを始めた五十嵐カノア選手は、6歳でローカルコンテスト「Kids For Clean Waves」で優勝を飾ります。それをきっかけに、当時のアマチュアUSAコーチであるジョイ・ブラン氏に見出されて最年少の9歳でUSAチーム入りを果たすことになりました。

2009年には、アマチュアサーフィン連盟史上で年間最多記録となる1シーズン30勝を納め、翌年2010年には12歳にして全米ナショナルチャンピオンへと上り詰めました。それを契機として、アメリカ国外の大会にも挑戦を開始します。

プロに転向して以降、2010年には全米ナショナルチャンピオン、2012年にはUSA Championship U-18で最年少優勝という戦績を叩き出しました。その後も2016年WCT Billabong Pipe Masters準優勝、2017年WSL Vans US Open of Surfing優勝、2018年WSL Qualifying Series 3000 – Pro Santa Cruz 2018優勝といった華々しい成績を納めます。

2018年におこなわれたアーバンリサーチISAワールドサーフィンゲームスでは、惜しくも2位の銀メダルとなりましたが。このとき同じ大会に出場していた村上瞬が勝ち獲った4位のカッパーメダルと合わせて日本人が合計2枚もの個人メダルを獲得し、日本初の記録を樹立。また、2019年のWSL CT #3 – Corona Bali Protectedでは、アジア人で初となる優勝を遂げるなど数々の戦果を挙げていきます。

一躍スター選手となった五十嵐カノア選手には、さまざまなスポンサーが集まりました。長年のメインスポンサーであるQuiksilverを始めとして、RedBull、Oakley、Audi、Sharp Eye、Visa、木下グループ、Diorといった有名企業が彼のスポンサーとなったのです。オリンピックの歴史においてサーフィンが初採用となり、世間はサーフィンの話題で盛り上がるなか、五十嵐カノア選手の年収は大会賞金と合わせてなんと2億円を超えているともいわれています。

五十嵐カノア選手とQuiksilverの結びつきは特に強く、両者のスポンサー関係はおよそ10年にもわたりました。2020年にはスポンサー契約の更新をおこなったことから、東京オリンピックでの金メダル獲得に向けてタッグを組み、より一層トレーニングに集中できる基盤や環境を手に入れたものと予想されます。

同様にオリンピックの主要スポンサーであるVisaも、五十嵐カノア選手をメンバーに含むTeam Visaとのスポンサー契約の延長をすることになりました。

東京オリンピックに日本人選手として選出

2017年12月25日、五十嵐カノア選手は都内で会見を開き、「日本代表として東京オリンピックに出たい」と語りました。同時に、日本サーフィン連盟への登録手続きが大詰めになっていることも明らかになります。

2018年1月に日本サーフィン連盟理事会の承認を経て強化選手となることが内定、翌月の2月6日には「2018年サーフィン強化指定選手」として正式発表されました。そして、直後に開催されたワールドサーフリーグでは、登録籍をアメリカから日本に変更しています。

その年のワールドサーフリーグでは、東京オリンピックを意識してかコンテストジャージに各選手の国旗を表示することになりました。五十嵐カノア選手はその大会で唯一の日の丸を背負い、個人で銀メダルを獲得します。また、チーム戦「Founders’ Cup of Surfing」では、自身も一員を務めるワールドチームを優勝に導く活躍までみせました。

2018年4月、国際サーフィン協会は日米両国籍を保有していた五十嵐カノア選手の国籍登録を日本へ変更することを承認します。これにより、ISAワールドサーフィンゲームスや2020年東京オリンピックに日本代表として出場することが可能となりました。以前から語っていた、「両親の母国である日本で金メダルを獲り、日の丸を掲げて親孝行したい」という五十嵐カノア選手の夢が実現へと近づきつつあります。

2020年東京オリンピックでは、サーフィンがオリンピック正式競技として初採用されることとなります。過去、オーストラリアでおこなわれたシドニーオリンピックでサーフィンが追加競技として検討されたことはありました。しかし、サーフィンは海がない国では一般的ではないうえ、参加国全体のサーフィン競技人口が少なかったこともあって不採用となっていたのです。サーフィンがオリンピック競技種目として正式に採用されるのは、2020年東京オリンピックが初めてとなります。

サーフィンでの金メダル獲得を含めて最も有力視されている日本代表選手といえば、やはり五十嵐カノア選手です。幼少の頃から積み上げてきた優勝という実績と同様、2020年東京オリンピックでの金メダル獲得が大いに期待されています。

既にサーフィン界のスター選手でありながら、「自分が活躍することで、サーフィンがもっと広まって欲しい」という五十嵐カノア選手の願いは日本の海で波に乗り、世界中を熱狂の渦へと巻き込むことでしょう。

まとめ

五十嵐カノア選手はサーファーの両親のもとカリフォルニア州で生まれ、幼少の頃からさまざまな舞台で活躍をしてきました。登録国籍を日本に変更し、満を持して臨む2020年東京オリンピック。正式競技として初採用されたサーフィンで、彼はどのような成果を見せてくれるのでしょうか。2020年東京オリンピックでの五十嵐カノア選手の活躍に期待しましょう。

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