オージーのプロサーファー…ミックファニングってどんなサーファー?シャークアタックや愛用ボードについて

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サーフィンが盛んであるオーストラリアを代表するサーファーの一人「ミックファニング」。今回は日本でも熱心なファンの多いミックファニングの生い立ちから、プロとしての優勝経験、シャークアタックにも耐えたという現在のボードブランドを展開するまでの半生を見て行きましょう。

ミックファニングの生い立ち

ミックファニングは1981年6月13日にオーストラリアのニューサウスウェールズで誕生しました。本名は「マイケル・ユージーン・ファニング」。アイルランド系の両親によって3人の兄と共に育てられましたが、幼いころに両親が離婚し、以後は母親によって育てられています。

ミックが誕生した地はサーフィンの盛んな場所ではありませんでした。しかし、両親の離婚を機に移住したツイードヘッズはサーフィン人気が高く、このことが彼をサーフィンとの運命的な出会いへと導くこととなります。

ミックは5歳のころに初めてサーフィンに出会い、しばらくは遊び程度で楽しんでいました。しかし、ハイスクールへ通うようになると既にプロとして活躍していたいジョエルパーキンソンと親しくなり、本格的にサーフィンを始めることとなります。

これを機に自身の技術を磨くことに没頭するようになったミックは、すぐにアマチュア界隈で頭角を現すようになり、1996年にはオーストラリアの国内大会でトップ3に名を連ねるほどにまで成長しました。

しかし、ミックが順調にサーファーとしてのキャリアを積み上げていた1998年、最初の悲劇が彼を襲います。幼いころから生活を共にし、とりわけ両親の離婚後は互いに支えあってきた兄の一人であるショーンが、若くして交通事故で亡くなってしまったのです。

このことはミックに大きなショックを与え、一時は競技の継続が困難になった程と言われていますが、彼は深い悲しみを乗り越え、19才のころにはベルズビーチで開催された世界大会でチャンピオンとなりました。

これを機にミックの名は世界中に知れ渡るり、名実共にその時代を代表するサーファーの一人となりました。10代のうちにこれほどの成功を収めるサーファーは多くはなく、以後のキャリアにも大きな期待が寄せられていたのです。

また、この頃から「白い稲妻(White Lightning)」という愛称で親しまれるようになります。この愛称は身長180cmを超える恵まれた体格を生かした力強いサーフィング・スタイルに由来し、キャリアの極初期から羨望のまなざしが多くのファンによって注がれていたことが分かるでしょう。

プロとして優勝経験あり、シャークアタックにも耐えた

20世紀の終わりに頭角を現し始めたミックにとって、21世紀の初めはまさに自分のための時代と呼べるものでした。彼の時代の始まりを告げたのは2001年にベルズビーチにて開催されたASPワールドツアーの大会のひとつで、ここでミックは初めて同ツアーの大会における優勝を達成します。

また、2002年には南アフリカで開催された同ツアーの大会でも優勝。その実力はもはや新人の域を超えており、多くのファンは彼が世界チャンピオンに輝くことを期待していました。

しかし、再びミックを悲劇が襲います。2003年に思うような結果を残せず、2004年の大会でハムストリングに大きなけがを負い、長期間にわたって競技からの離脱を余儀なくされてしまったのです。

のちに選手生命に係わるほどのけがを負ったミックですが、2005年には見事にカムバック。以後、彼にとって本格的な黄金期となります。とりわけ2005~2010年までの間には、合計で11個ものASPワールドツアータイトルを獲得。ペースは落ちるものの、2011年以降もコンスタントに主要大会での優勝を成し遂げていきます。

このころには多くのスポンサーがミックをサポートしており、サーフィンに集中しやすい環境が整っていたことも、彼が長期間にわたって成功を収め続ける一因になったと言えるでしょう。しかし、キャリアも終盤に差し掛かったこの時期に、彼を新たな悲劇が襲います。

2015年7月、ミックは南アフリカで開催されていた大会に出場していましたが、その競技中、彼はシャークアタックを受けてしまったのです。咄嗟の判断でサーフボードを使用してサメに抵抗し、仲間のサーファーなどによって助けられ一命をとりとめました。幸いにもサメが彼に噛みつくことはありませんでしたが、競技中に襲撃を受けたショックは大きく、その後のキャリアを再考するきっかけになったと言えるでしょう。

その後ミックは、2016年のASPワールドツアーの南アフリカ大会で優勝するなどの好成績を納めますが、2018年に突然の引退宣言をし、世界中のファンを驚かせます。37歳での引退はサーフィンの世界では若干早く、このことには現役生活の中で起きたいくつかの悲劇が影響しているかもしれません。

ミックファニングの現在はボードブランドを展開?

37才を迎える2018年に突然の引退宣言で、世界中のファンを驚かせたミック。しかし、引退後の計画は現役時代から入念に練っていたようで、現在では非常に充実したセカンドライフを送っているようです。

現在のミックが特に力を入れている活動のひとつが、サーフボードブランドの展開。このブランドは「ミックファニング・ソフトボーズ」と呼び、ミック自身が現役生活中に習得したノウハウなどが商品開発に活かされています。

また、同ブランドの商品では初心者向けのスポンジボードの人気も高く、日本においても多くのサーフィン初心者が彼のブランドのボードを購入しているようです。同ブランドの商品には機能性だけでなくデザイン性においても独創性に満ちた特徴が強く表れており、ミック自身のサーフィンアイテムに対するこだわりを見て取ることができます。

一方、ミックはセカンドライフにおいて、若いサーファーの育成や子どもたちにサーフィンの楽しさを知ってもらう機会を作る活動にも力を入れているようです。もっとも、ミックは現役時代から後継の育成やそのためのコーチング方法の習得に熱心であったことから、これらの活動に力を入れることは当たり前のことなのかもしれません。

近年のミックは、地元オーストラリアにおいて政府公認の団体などと協力しながらサーフスクールを開校していることなども広く知られています。このことから、彼にとって後継の育成やサーフィンを楽しむ機会の創出、サーフィン環境の整備などは今後に人生のテーマとなっているのかもしれません。

また、ミックが意味するところの引退とは第一線から退くことのようで、今後はフリーのサーファーとして活動していくようです。実際に現在の彼は新たなボードの開発で欠かせないテストライダーなどとしてサーファー活動を続けており、今後も彼がサーフィンをする姿を目にするチャンスは十分にあるといえるでしょう。

まとめ

オーストラリアの沿岸部で幼いころからサーフィンに親しんだミックファニングは、やがて世界的なサーファーへと成長し、いくつかの悲劇を乗り越えながら数多くの偉業を成し遂げました。第一線を退いてからも彼のサーフィンに対する情熱は絶えることがなく、セカンドライフにおいてもさまざまな方法でサーフィンの普及に尽力しているようです。

ミックのブランドが販売するボードをはじめとしたアイテムは、ここ日本でも簡単に入手することができます。「ミックのようなサーファーになりたい」という方は、まずは彼のブランドのアイテムを購入してみてはいかがでしょうか。

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