デュークカハナモクは元オリンピックメダリスト?ハワイの英雄を紹介!

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ワイキキビーチにあるレイ(花飾り)を掛け両手を広げている銅像の人物こそが今回紹介する「デューク・カハナモク」です。サーフィンやアロハシャツを世界に広め、銅像まで建てられたハワイの英雄デュークカハナモクは様々な顔を持っていました。果たして彼はどんな人物だったのでしょうか。

様々な顔を持つデュークカハナモクとは?

ハワイの歴史に名を刻んだデュークカハナモク。没後130年が経った現在も彼の功績は称えられています。銅像を見て分かるように、サーファーとしての認識が高いですが、実は様々な顔を持っていました。

死因は心臓発作!?

1890年8月24日、オアフ島生まれ。享年1968年1月22日、心臓発作にて77歳でこの世を去りました。本名は「デューク・パオア・カハナモク」。生粋な先住ハワイアンです。9人兄弟の長男で「デューク」という名前は父親から譲り受け、家族からはミドルネームの「パオア」と呼ばれていまいた。

ハワイ初のオリンピック金メダリスト

幼い頃からワイキキビーチで遊び、泳ぎが得意だったデュークカハナモクは、ハワイで初めてオリンピックに出場した水泳選手となりました。誰もが認めるウォーターマンとなった彼は父親が泳ぎが上手くなるとカヌーから落とされていたと語っています。また、母親は「水を怖がらず、可能な限り遠くまで行ってみなさい」と言い聞かせて育てたそうです。

オリンピックでの功績は以下の通りです。オリンピック以外の大会でも数多くの賞やメダルを獲得し世界記録保持者でもありました。

・1912年ストックホルムオリンピック 100m自由型 金 200mリレー 銀
・1920年アントワープオリンピック 100m自由型 800mリレーともに金
・1924年パリオリンピック 100m自由型 金

水泳を引退した後、1932年のロサンゼルスオリンピックでは水球選手として出場し銅メダルを獲得。

オリンピックメダリストのデュークカハナモクですが、泳ぐ場所が海であったため、ターンができず、泳ぎではなくターンの練習をしていたという話も残っています。

サーフィンの父

▲イメージ画像

近代サーフィンの父と評されている背景について説明します。サーフィンの発祥の地とされているハワイですが、かつては布教活動によりサーフィンが禁止されていた時代がありました。しかし、20世紀の初めにライフガードの観点から再開するようになりハワイアンの中でサーフカルチャーが再び根付き始めたといわれています。

その後、水泳選手として世界的に有名になったデュークカハナモクは世界中に招かれるようになりました。当時はハワイの代表的な遊びであったサーフィンですが、世界には知られておらず、オリンピックで訪れた際に各地でサーフィンのデモンストレーションを行い「サーフィン」というアクティビティを広めることに貢献したのです。

デュークカハナモクが愛用していたサーフボードは「パパ・ヌイ(大きな板)」と名付けられたフィンもリーシュコードも付いていない巨大なロングボード。長さが4.8m、重さ52kgと規格外のサイズ。「ハワイアン・コナ」という高級ウクレレなどに使用される硬い木材でできたロングボードでサーフィンをしていました。

ライフガードの原型

デュークカハナモクは仲間達とワイキキビーチに訪れる観光客をカヌーに乗せたり、水泳を教えたりサーフィンの技を見せてお金を稼いでおり、「ビーチボーイズ」と呼ばれていました。当時はビーチの安全を見守る「ライフガード」は存在せず、彼らがその役目を担ってワイキキビーチの安全を守っていたのです。そのため、彼らビーチボーイズはライフガードの原型といわれています。

映画俳優

デュークカハナモクはハリウッドスターとしても活躍しており、「逃走の島」、「海のロマンス」など累計30本以上の映画に出演していました。

保安官

現役を引退した後にホノルル市の名誉保安官に就任し、1960年まで26年間従事。世界に名の知られたデュークカハナモクが保安官をしているとあって、本土の保安官が彼を訪ねてくることもありました。

ヴィンテージアロハシャツブランド「デュークカハナモク」

1937年にアロハシャツの老舗、カハラスポーツウェアで自身の名前が付いた「デュークカハナモク」ブランドがスタート。1949年に戦時規制によってシャツの輸出が制限させるなどの障害もあり、一度はブランドの権利がニューヨークのシスコ・カジュアルズ社に譲渡することになりますが、1961年に再びカハラ社と契約を結びました。

自ら広告塔となってアロハシャツを広めに全米の都市を周り、ローカル的な存在だったハワイアンファッションをアメリカ全土に注目させた立役者もありました。

いくつかデュークカハナモクのアロハシャツを紹介します。

公式サイトはこちら:Duke Kahanamoku (デューク・カハナモク)

ココナッツパルム&ダイアモンドヘッド

1953年、映画「地上より永遠に」の中で俳優モンゴメリー・クリフトが着用していた柄。映画のラストシーンを飾る衣装として採用されただけに、柄やカラーが魅力的なヴィンテージアロハです。

【Xadventureのおすすめポイント】
・全面でハワイを感じるデザイン

モンステラ

多くの配色をもつデザインはニューヨークのシスコ・カジュアルズ社が手がけたもので、葉の陰影を抜染プリントによるグラデーションで表現したデュークカハナモクブランドの代表作の一枚。

【Xadventureのおすすめポイント】
・鮮やかなデザインで様々なシーンで着用可能

デュークスパイナップル

パイナップルをモチーフにしたデザインだけでも複数のパターン展開しているデュークカハナモクブランドですが、その中でも特にヴィンテージ価値が高いシャツが「デュークスパイナップル」です。

【Xadventureのおすすめポイント】
・シンプルなデザインながらも大人っぽさがある

デュークスシェル

幾何学的なデザインの「デュークスシェル」はデュークカハナモク本人も同柄の長袖アロハシャツを着用してプロモーションを行っていました。シスコ・カジュアルズ時代に最も人気が高かったデザインです。

【Xadventureのおすすめポイント】
・派手なアロハ柄が苦手な方におすすめ
・何にでも合わせやすいアロハシャツ

デューク・カハナモクは後世に語り継がれる

数多くの功績と人々から尊敬を集めたデュークカハナモクは没後130年が経った今もなお、伝説として語り継がれています。

デュークカハナモク像

生誕100年を記念して等身大のデュークカハナモク像が建てられました。場所は彼が幼少期から仲間たちと過ごした原点である「ワイキキビーチ」。ハワイに訪れた人々を歓迎する意味を込めて海に背を向けています。

また、デュークカハナモク像には多くのレイ(花飾り)が掛けられています。レイには感謝、親愛など様々な「贈る人を思う気持ち」が込められており、今もなお、レイを掛けにくる人が絶ちません。ハワイに訪れた際、空港やホテルでレイを貰う機会があれば処分せずに、デュークカハナモク像に掛けてみてはいかがでしょうか。

住所:Kalakaua Ave, Honolulu, HI 96815 アメリカ合衆国

名前のついたビーチ

ワイキキビーチの西端に位置する、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ前の「デュークカハナモクビーチ」。デュークカハナモクの祖父の家が近くにあり、本人も幼少期に泳いでいたことで名付けられました。

デュークカハナモクビーチは1950年にリゾート開発によって人工的に作られたビーチのため、大きな波はあまり入ってこない構造。波打ち際の海底は砂浜で浅いため子供連れの家族が安心して入ることができます。また、2014年には「全米ベストビーチ」第一位に選ばれており、とてもきれいなビーチとしても有名です。

住所:Duke Kahanamoku Beach Honolulu HI 96815

サーファーだけでなく全ての人に響く名言

ハワイの英雄デュークカハナモクが残した言葉を紹介します。

・海から出たら何者でもない

伝説のウォーターマンと称されたデュークカハナモクはとても謙虚で自慢をする人ではありませんでした。

・板に乗るんじゃない。波に乗るんだ。

サーファーに刺さる言葉。板の性能や技術を磨き、努力すると行き詰まる瞬間がありますが、サーフィンとは波と呼吸を合わせることが大事と思い出させてくれます。

・大丈夫、キミの波がくる

「いつか波(チャンス)がくる。焦らずに待ち、その時が来たら進め」という意味。サーファーであり、ビジネスマンであったデュークカハナモクの言葉です。

・最高のサーファーは、最も楽しんでる人のことです

サーファーのレベルは関係ありません。サーフィンを最も楽しんでいる人こそが最高のサーファーだとデュークカハナモクは語っています。

デューク・カハナモクの生前動画

とても古い動画ではあるものの、デュークカハナモクのサーフィン動画や功績が分かる動画が残っているので紹介します。

まとめ

ウォーターマンに相応しい成績を残し、俳優業やアロハシャツブランドまで幅広い活躍でハワイの魅力を伝え、地元に貢献したデュークカハナモクは、まさにハワイの英雄。ハワイに訪れた際はぜひデュークカハナモク像の前で足を止めて、彼の伝説に思いをはせてください。ハワイを愛し、訪れる人々を愛した彼はいつでも歓迎してくれるでしょう。

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