オリンピック銅メダル!最後まで大技で攻め続けた中山楓奈選手を紹介!

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先日開催された東京オリンピック、スケートボードの女子ストリートで銅メダルを獲得した中山楓奈選手。最後までリスクの高い大技で攻め続けた姿は本物のスケーターでした。今回はメダル獲得で話題の中山楓奈選手を紹介します。

中山楓奈選手のプロフィール

名前:中山楓奈(なかやまふうな)
生年月日:2005年6月17日
身長:155cm
出身地:富山県富山市
スタンス:レギュラー

まだ16歳?高校はどこ?

中山楓奈選手は現在「龍谷富山高等学校」に通う高校1年生です。この歳からオリンピックで世界のトッププロと渡り合っています。今後も金メダリストの候補として活躍に期待できます!現在、高校には世界ツアーなどの兼ね合いもありあまり通えていません。

しかし、担任の川端さんは「提出物などは絶対に忘れない、登校すれば授業も静かに取り組む真面目な子」といいます。スケートボードに対してあまりいいイメージを持っていなかった人には以外と感じるでしょう。この真面目さがスケートボードの練習にも反映されて、短期間で実力がついたのです。

中山楓奈選手の魅力

中山楓奈選手の最大の魅力は「強気な姿勢」です。決して妥協せずに常に大技を狙い続け、リスクがあっても決して逃げません。中山選手本人もインタビューで「スケートボードは個人競技だから、好きな技を好きなだけ、好きな時間に取り組めるのが魅力です。そして、怖い技から逃げないこと。怖さのある技を練習から何度もトライできるかどうか、本番でもトライできるかが大切であり、そこもまたスケボーの好きなところです」と話していました。このことからも中山楓奈選手の「強気な姿勢」が伺えます。

スケートボードを始めたきっかけ

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中山楓奈選手がスケートボードを始めたきっかけは、地元の富山にスケートパークができたことです。9歳のとき、父親に連れて行ってもらったスケートパークでスケボーの魅力を知り、以降毎日のように通い詰めてスケボーに打ち込んできました。以降、父親と一緒にスケボーに励んできましたが、父親は「1日の間にやると決めたことができるまで帰らない」という厳しい条件を課していました。この厳しさが、スケボーに必ずついてくる「恐怖心」から逃げない勝負強さを育てたのです。

中山楓奈選手の大会成績

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次に、中山楓奈選手の大会成績について紹介します。

日本での大会成績

2018年:第2回日本スケートボード選手権大会 女子ストリート(3位)
2019年:AJSA JAPAN OPEN STREET CONTEST 女子(2位)
2019年:第3回日本スケートボード選手権大会 女子ストリート(優勝)

中山楓奈選手はスケートボードを初めてわずか4年で日本大会で3位になっています。その1年後、同じく日本大会で優勝して更に勢いをつけています。

世界選手権

2018年:第18回アジアローラースポーツ選手権大会 スケートボード女子ストリート(3位)
2019年:FISEワールドシリーズ。スケートボードストリート・ウィメンズディビジョン(2位)
2019年:SLS WORLD TOUR LONDON WOMENS(6位)
2021年:世界選手権(3位)

中山楓奈選手は世界大会でも輝かしい成績を残しています。2019年には世界最高峰の大会と言われているSLSで初出場ながら、決勝リーグに残り6位となっています。2021年には念願の世界選手権優勝。若干16歳にして世界トップレベルの実力を持っています。

中山楓奈選手のインスタグラム

中山楓奈選手はインスタグラムでも活動しているので、日々の練習の様子や大会での活躍などを追うことができます!

中山楓奈選手のインスタグラムはこちらから→@funa_nakayama

中山楓奈選手のスポンサーは?

ここでは、中山楓奈選手のスポンサーについて紹介します。

ムラサキスポーツ

ムラサキスポーツは、サーフィン、ボディーボード、スノーボード、スケートボード、BMXなどのアクションスポーツの商品の取り扱い、大会の主催、カルチャーの普及活動などをしている日本の大手スポーツショップ。中山楓奈選手は看板ライダーとして世界中で活躍しています。

ELEMENT JAPAN(エレメント・ジャパン)

ELEMENTはストリートスケート創世記に活躍したジョニー・シラレフによって1992年にアメリカ東海岸のストリートから派生したスケートボードブランド。ELEMENT JAPANはその日本チームで、日本で最も親しみのあるブランドの1つです。これまで数多くの日本人プロスケーターが所属し、世界へと送り出しました。

Diamond Supply Co(ダイアモンド・サプライ)

Diamond Supply Coは1998年にニック・ダイアモンドによって設立されたストリートブランド。2000年以降、スケート商品からアパレル商品まで幅広い商品を展開していて、NIKE SBとのコラボシューズなども話題となっています。スケーター以外にも、HipHop系やストリートシーンからも支持を得ています。

NINJA BEARING(ニンジャ・ベアリング)

NINJA BEARINGは1995年にトヨタグループの工場でスケートボード専用のベアリングを開発して作られたブランド。スケートボードのみならず、バスドラムなどにも使われるほど信頼度の高い製品を展開しています。

中山楓奈選手の紹介動画

中山楓奈選手の紹介動画です。スケボーへの愛がとても伝わってきます。

東京オリンピックでの躍進

東京オリンピックでの中山楓奈選手はとにかく攻めの姿勢を崩しませんでした。ここでは彼女の大会での躍進を紹介します。

予選を1位で通過

中山楓奈選手は予選を1位で通過しました。大技を競い合うベストトリックでは会場中が沸き上がるほどの大技を成功させ、予選中最高得点を獲得。その後も常に攻めの姿勢を崩さずにハイスコアを連発し、予選1位で決勝リーグへと進み勢いをつけました。

最後まで大技で挑み続けた

中山楓奈選手は決勝リーグで序盤にミスが続き、暫定順位が大きく下がりました。しかし、着実に得点が欲しい場面でも中山楓奈選手は攻めの姿勢を崩さず、リスクの高い大技に挑み続けました。大会終盤、中山楓奈選手は大技「フロントKグラインド」を決め暫定順位を回復。メダル獲得を確実なものにしました。

大会最後のベストトリックが中山楓奈選手に回ってきたとき、確実に決められるトリックを選択すれば2位を狙える状況でした。しかし、中山楓奈選手は「椛が1位だったから、1位になってやろうと思って」と、金メダルを狙い最後まで成功難易度の高い大技に挑み続けました。トリックは失敗してしまいましたが、自分の信念を曲げなかった中山楓奈選手は真のスケーターです。

今後の豊富

中山楓奈選手は、元々2024年のパリオリンピックに向けて練習に取り組んでいました。通過地点であった東京オリンピックで獲得した銅メダルなので、今後の活躍にも大いに期待ができます。本人も「(パリオリンピックに)出られるなら、出てみたい」と意欲を表していました。次回のオリンピックではより一層レベルアップして金メダルを狙いに来るでしょう。

まとめ

中山楓奈選手は、若干16歳にして最後まで信念を貫き銅メダルを獲得。その堂々とした姿は日本中に感動を与えました。今後のオリンピックでもメダル獲得を期待できる選手です。これからの活躍にもぜひ注目して行きましょう!

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