2020年東京オリンピックよりスケートボードが正式種目となり、再びブームが復活しつつあります。いつ頃から発祥したのか、意外と知られていません。長年スケートボードに親しんでいても、歴史については知らない方も多いでしょう。今回は、スケートボードの歴史について詳しく解説します。
アメリカが発祥?1940年頃にスケボーが誕生
スケートボードの発祥については、様々な説がありますが、1940年代にアメリカのカリフォルニアから発祥したという説が有力です。ここでは、スケートボード誕生からスケートボードブームになるまでを、順を追ってご紹介しましょう。
1940年代
当時は木製デッキやソリットデッキに、ローラースケートのウィールと呼ばれる、ゴムや鉄・プラスチックなどで作られた車輪を付けた手作りのものが、スケートボードの始まりでした。しかし、まだその頃は子ども達が家の周りで遊ぶ道具のオモチャの一種として考えられていたので、「スケートボード」とは呼ばれていなかったようです。
1950年代
その頃のカルフォルニアでは、すでにサーフィンブームが到来して、海岸には大勢のサーファーがサーフィンを楽しんでいました。その多くのサーファー達が、波のない日や陸でのサーフィンの練習用として始めたのがスケートボードです。スケートボードはまだ、「サイドウォーク・サーフィン」や「ロックライダー」などと呼ばれ、サーファー達が公園や歩道を使って、スケートボードを楽しんでいたといわれています。
木の箱に車輪を取り付けて、子ども達が遊んでいたようなものではなく、現在のスケートボードの形に近づいていました。その頃、スケートボードはまだまだマイナーなスポーツで、サーファーや子ども達が遊ぶ道具として考えられていたのです。
しかし、そこに目を付けたのがアメリカのオモチャメーカー「ローラーダービー社」でした。ローラーダービー社から、木製デッキに木で作られたチップとゴム製のホイルを付けた「ローラーサーフィン」が発売されると、徐々に広がっていくようになりました。
スケートボードブームが到来!!だがすぐ廃れてしまう
1960年代になるとカルフォルニアにいるサーファー達が、水を抜いたすり鉢のような形のプールの中で、技を使いながら滑る姿が若い人たちの間で話題になります。サーファー以外にもスケートボードに挑戦する若者が増えてきました。
そして、ローラーダービー社の他にも、南カリフォルニアのいくつかのサーフィンメーカーが、サーフボードの形に似たスケートボードを製造するようになり、スケートボードチームを結成して、大々的に売り出されるようになったのです。こうして、南カリフォルニアのサーファーを中心に、スケートボードは全米中へと広がり、第一次スケートボードブームが到来したのでした。
そして、1963年には、カルフォルニアの有名サーフブランドの「Makaha」の創設者ラリー スティーブンソンのサポートで、カルフォルニアのハモサビーチの近くにある中学校を使ってスケートボードのエキシビションが開催されて、さらに注目を集めるようになりました。
翌年の1964年に「Surf’s Up」というテレビ番組の中でスケートボードチームが紹介されると、世界中の若者から注目されるようになりました。1965年にはアメリカのLIFE誌の表紙にパティマクギーが、スケートボードにハンドスタンド(逆立ちをしてスケートボードに乗る技)をしている姿が掲載されると、斬新な姿に全米中の話題になりました。
この頃の日本では、一部のサーファーたちの間ではスケートボードは知られていましたが、まだまだ日本での認知度は低いものでした。1960年代後半になると、サーファーの中でもスケートボードを楽しむ人が現れて、流行に敏感な若者たちの間で広がっていくようになったのです。
1970年代にはウィール等が再発明され競技としても注目される
1970年代に入ると、スケートボードはサーフィンの技を磨くスポーツから、技を競う競技へと大きく進化していくようになります。1970年代の初めには、7-9歳や10-12歳・18歳以上などの年齢別に分かれたコンテストや、フリースタイル・スラローム・ダウンヒルなどの競技を競う大会として開催されるようになりました。
スケートボードが競技として進化していった背景には、スケートボードのウィールと呼ばれる車輪の部分が、1960年代に比べて大きく改良されたからだと考えられます。1960年代当時はゴム製のウィールを使用していましたが、1973年にウレタン製のウィールが開発されました。ベアリングもボールベアリングからシールドベアリングへと進化し、その結果スムーズな動きが可能になり、滑走性能が大きく向上したことが影響しているのです。
そして、競技として進化していったスケートボードは、1975年にはカルフォルニアのサンタモニカのベニスビーチで、技を競い合う世界大会が初めて開催されました。
この大会では、世界中から500人のスケーターが参加し、地元サンタモニカのスケートチーム「ZEPHYR」のメンバー、ジェイアダムスやトニーアルバなど「z-boys」と呼ばれたスケートボーダーが活躍しました。競技として認知度も高まり、スケートボード界のスーパースターの誕生に大きく盛り上がるようになったのです。
これまでのスケートボードは、サーフィンの影響を強く受けていました。「陸でのサーフィンの練習用の道具」というイメージがあり、サーフスケートとも呼ばれていましたが、1970年代にフィッシュテールに代表されるオールドスクールが登場して、スケートボードの発展に大きく影響していると考えられます。
ストリートスタイルの始まり…トリックで魅せたトニーホークやロドニーミューレン
日本へは1970年代の初めに本格的に上陸を果たし、アキ秋山さんなどの日本人スケートボーダーが活躍。千葉の蓮沼や東京の渋谷など、日本各地にスケートパークがオープンするようになり、スケートボードブームが到来しました。
1980年代
1970年代後半のアメリカでは、第二次スケートボードブームが去り、次々とスケートパークが取り壊されました。しかし、同じ頃にジョージパウエルとステイシーペラルタがマネジメントをするスケートボードチーム「Bones Brigade」がカルフォルニアで誕生します。
Bones Brigadeの中でも「フリースタイルの神様」と言われ、平地でのオーリーを開発したロドニーミューレンや、バーチカル上で二回転半するトリック900を成し遂げた伝説のスケートボーダーのトニーホークなどが活躍。トリックの時代の幕開けとなり、現在のXgamesと言われるカテゴリーに大きな影響を与えたのでした。
1970年代後半、スケートパークがなくなったアメリカでは、街中を好きなように滑るストリートスタイルが主流となりました。一方で有名なスケーターにはスポンサーが付くようになり、プロスケーターが誕生したのもこの頃でした。
熱狂的なファンは、有名スケーターが身に付けているファッションと同じようなスタイルを身に付けるようになり、ストリートスケートファッションのブランドやシューズブランドが登場しました。新しいファッションスタイルとして、多くの若者に支持されるようになったのです。
そして、1990年代に入ると、スケートボードはファッションと音楽が混ざり合う新しい文化へと発展していったのでした。
まとめ
スケートボードの歴史は、1940年代にアメリカのカルフォルニアから子どもの遊び道具として始まりました。その後サーファーが取り入れて、少しずつ知られるようになったのです。そして、現在オリンピック正式種目としても選ばれたスケートボードは、これから益々スポーツ人口が増えていくでしょう。