熱狂的ファンも多いデーンレイノルズの生い立ちやフリーサーファーとしての魅力

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過去にはプロとして多くの大会に出場、世界ランク4位にランキングされる実績を挙げたデーンレイノルズ。フリーサーファーとして数多くの映像作品を出すだけでなく、自身モデルのサーフボードやアパレルブランドも展開するなど、世界中のサーファーに影響を与えています。今回はそんなデーンレイノルズについて詳しく見ていきましょう。

デーンレイノルズの生まれは?大会に出場していた時代もあった

今もなお熱狂的なファンが多く、世界的にも不動の人気を誇るデーンレイノルズですが、多くのトップサーファーのように幼少期からサーフィンを楽しんでいたわけではありませんでした。

出身地こそカリフォルニア州ではあるものの、少年時代を過ごしていたのは内陸に位置するベーカーズフィールドだったため、サーフィンではなく体操やスケートボードなどのスポーツをしていました。

しかし、彼が9才の時に親友が海沿いの町であるベンチュラに引っ越しました。そこによく遊びに行くようになったことがきっかけで、サーフィンを覚えたのです。

10才の時、父親がロサンゼルスに勤務することが決まり、引っ越すことになりました。この時にデーンレイノルズが強くベンチュラへの引っ越しを懇願し、家族揃ってベンチュラへ移ります。

このエピソードから、デーンレイノルズがかなりサーフィンにハマっていたのが分かります。また、父親もサーフィン好きだったことも幸運でした。

こうしてベンチュラでの生活をスタートさせたデーンレイノルズは、学校を除く多くの時間でサーフィンを楽しむという生活を送るようになり、どんどん実力がついていきます。

12才の時に、年上のサーファー仲間らと一緒にチャネルアイランズサーフボードの合同トレーニングに参加。多くの同年代サーファーがいる中でその実力が見出されることとなったのです。そしてその実力を認められた彼はスポンサー契約を得て、多くのアマチュアジュニア大会に出場することになります。

デーンレイノルズは、これらの大会で多くの実績を残しました。そして17才の時にクイックシルバーと契約し、プロライダーとしての活躍がスタートします。

プロ転向後はX-Gamesというスポーツ競技大会において2003、2004年と連続で優勝したほか、数々の世界大会で入賞を繰り返すようになりました。183cmという高身長が生み出す豪快なアプローチやダイナミックなエアーなども注目を集め、世界的な知名度も上がっていったのです。

その後2008年から、WCT(ワールドチャンピオンシップツアー)に準じるリーグである、WQS(ワールドクオリファイシリーズ)へと参戦します。そこで2位という成績を残したことで、WCTのランキングも19位まで上がり、世界最高峰のトップサーファーのひとりとしてWCTへの参戦を果たします。

2009年には10位、2010年には4位と順調にWCTランキングを上げていきました。しかし、2011年は膝の怪我によりツアー初戦から3戦の欠場を余儀なくされ、同年12月にはWCTツアーサーファーから引退し、フリーサーファーへの転向をしました。

しかし、これは怪我によるものではないと言われています。デーンレイノルズは、兼ねてからコンペに勝ってワールドチャンピオンになる重要性が全く分からないと主張していました。フリースタイルのサーフィンに魅力を感じていたという面の結論でもあったのかもしれません。

壊れるスタイルを確立…フリーサーファーとしての魅力

デーンレイノルズはワールドツアーを引退した後、フリーサーフィンを題材にした映像作品を制作したり、フリーサーファーとして自由にサーフィンを楽しんだりといったキャリアを開始しました。

しかし、彼の人気が陰ることはなく、世界での影響力が高いサーファーとして今でも広く認知されています。

選手としての成功より自分が魅力を感じるものを優先させるという、今までの価値観が壊れるようなスタイルが確立できた理由は、デーンレイノルズ自身の人間としての魅力にあると言えるでしょう。

彼が手掛けた映像作品も、他のサーフムービーとはまるで違います。サーフムービーというと当然ながらサーファーがメインであり、難しいトリックやダイナミックなアプローチなどに重点的なポイントを置いているのが一般的ですよね。

しかしデーンレイノルズの場合は「Loaded」や「Sprout」に代表されるように、サーフィンと自然をひとつのアートとし、芸術的な観点から作られています。

このようなことからも、彼自身のスタイルをうかがい知ることができるでしょう。

また、創設者アルメリックの代からなじみ深いチャネルアイランズから、「ネックベアード」のデーンレイノルズモデルのサーフボードも世に送り出しています。テール部分を大胆なカットにしたこのボードは、発売後あっという間に世界中のサーファーの注目を集めました。初心者からプロまで、幅広いサーファーが快適に楽しめるボードとされています。

のちに改良が加わり発売された「ネックベアード2」と合わせ、ショートボードでありながら厳しいコンディションでもしっかり波に乗ることができるボードとして、世界中から愛されるロングセラーモデルです。 デーンレイノルズのアーティスティックな部分は、スニーカーにも影響しています。サーファーやスケートボーダーにも愛好者が多いVANSから、デーンレイノルズモデルのスニーカーがリリースされているほどです。

デーンレイノルズの現在

フリーサーファーに転向してから2021年で10年になるデーンレイノルズですが、2015年WCTの大会にワイルドカードとして参戦したこともありました。

また2015年にはスポンサー契約をしていたクイックシルバーが破産申請をしたことから、契約を途中で解消することになります。

しかし、この時既に自分の撮った写真やイラストをTシャツやフィンにプリントし販売するブランド「SUMMER TEETH」を立ち上げており、契約解消に関するダメージは小さかったと言えるでしょう。2011年に東日本大震災が起きた際には、このブランドの売り上げすべてを被災者に寄付しました。

さらに2017年には新たに「Former」というアパレルブランドを立ち上げており、フリーサーファーでありながら実業家としても活躍しています。

自身のブログでサーフムービーの公開をしていたデーンでしたが、クイックシルバーの破産が起きた2015年に更新が途絶えたことで、世界中のファンが彼のフリーサーフィンを見る機会は少なくなっていました。

しかし2019年にブログの再開を発表し、「CHAPTER 11 TV」という新しいサイトで不定期に、デーンレイノルズがフリーサーフィンを楽しむサーフムービーが公開されています。

プロの大会に出ていた頃から、インタビューを避けがちだったデーンの本心が見られる数少ない機会として、ファンはもちろん数多くのサーファーが注目しています。

ブログのムービーを見れば一目瞭然ですが、30才という年齢を超えたデーンは、サーファーとしてのスタイルにも変化を見せています。初心者が手本にするようなフォームやアプローチはほとんど見られません。その大柄な体格からは考えられないようなワイルドさ溢れるアプローチやアクションへと変わり、その圧倒的なテクニックで、今もなお多くのファンを魅了し続けています。

ブログにはデーンレイノルズ以外にも、マットマッケイブやクレイグアンダーソンなど、数多くのサーファーが登場しています。それぞれのスタイルの違いやテクニックなどを見比べてみることで、新しい発見があるかもしれませんね。

まとめ

デーンレイノルズは、プロとしての活躍よりも自分が魅力を感じるフリーサーフィンを追求するために、若くして競技の世界から引退しました。その高いテクニックや自由な生き方に共感する熱狂的なファンは今でも数多く存在します。

次に彼がどんな活動で多くのサーファーを魅了してくれるのか、その動向にぜひとも注目していきましょう。

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