プロスケーター「米坂淳之介」のエピソードや愛用ボードまとめ

日本におけるプロスケーターは、AJSA(日本スケートボード協会)が日本国内で有効とするプロ・ライセンスの有資格者(2016年)の約80人。そんなプロスケーターの中で日本を代表する選手の1人が、米坂淳之介(よねさかじゅんのすけ)選手です。今回は日本を代表する伝説のプロスケーター・米坂淳之介選手についてご紹介します。

米坂淳之介選手とは?

まずはプロスケーター・米坂淳之介選手の基本プロフィールからご紹介します。

<プロフィール>
生年月日:1977年4月25日
出身:東京都
身長:166.5cm
体重:60kg
血液型:A型

米坂淳之介選手は、1977年生まれの現在43歳、東京都出身です。身長は一般的には小柄な部類に入ります。ただし、その他のプロスケーターを見てもそれほど身長の大きな選手はいないため、プロスケーターの中では標準的な身長と言えるでしょう。

米坂淳之介とスケートボードのエピソード

米坂淳之介選手がスケートボードを始めたきっかけは、小学2・3年生のころに量販店などで売っているようなスケートボードで遊んだことだそうです。しかし、3年生の終わりに引っ越した際、スケートボードを失くしてしまい、1年くらいスケートボードのことは忘れていました。

ところがある時、2歳年上の兄・真之介が同級生と共に本格的なスケートボードに乗って登場したのです。それを見た淳之介少年は、自分も本格的なスケートボードが欲しくなり、親に頼み込んで了承してもらい、兄・真之介と下北沢にある店までスケートボードを買いに行きました。それが小学5年生の10月ごろのことで、本当の意味でスケートボードを始めたのはこのときです。

また、米坂淳之介選手は当時、川村諭史、是石清和、石原和晃(ハッチャキくん)といったスケーターたちに大きな影響を受けたと語っています。

米坂淳之介の受賞歴および戦績

米坂淳之介選手は日本を代表するプロスケーターであり、日本国内はもとより世界各地で行われる大会でも数多くの優秀な成績をおさめています。以下が米坂淳之介選手の主な戦績や受賞歴です。

2000年:X-GAMES(Australia) 2位

2001年:COREXTREME SUMMER GAMES 5位
同年、米坂淳之介選手はAJSA(日本スケートボード協会)年間ランキング1位を獲得し、日本一の称号を手にしています。

2007年:ELEMENT PRO SKATEBOARD JAPAN 受賞
同じ年には、GATE PROのランキングでも1位を獲得しています。

米坂淳之介のスケートスタイルとスタンス

日本を代表するプロスケーター・米坂淳之介選手のスケートスタイルは、ストリートスタイルです。米坂淳之介選手は、高くダイナミックなエアやショービットやB/Sビッグスピンに代表されるような回し技を得意としています。

ショービットというのは、板だけをつま先側へ180°回す技で、B/Sビッグスピンというのは板をつま先側へ360°回しながら、自分も180°回る技です。この他にも、これらを応用した技やさらに難易度の高い回し技が多くあります。

米坂淳之介選手のスタンスは、レギュラースタンスです。スケートボードやサーフィンにはレギュラースタンスとグーフィースタンスの2種類があります。レギュラースタンスというのは、スケートボードの進行方向に対して左足が前で右足が後ろになる乗り方です。

スケートボードやサーフィンなどのボードスポーツは、後ろに置いた足でボードをコントロールするため、利き足が右の場合はほとんどの人がレギュラースタンスとなります。一般的に右利きの人のほうが多いため、このスタンスの呼び名もレギュラーとなっているようです。

それとは逆にスケートボードの進行方向に対して右足が前で左足が後ろになる乗り方がグーフィースタンスです。グーフィーの語源は「風変わりな」「ちょっと変わった」という意味からきているというものと、ディズニーの初期の映画「ハワイアンホリデー」 で グーフィーが 右足を前にサーフしていたからという2つの説があります。

プロスケーターでも米坂淳之介選手と同じようにレギュラースタンスの選手のほうがグーフィースタンスの選手よりも多いようです。

米坂淳之介の愛用ボード

米坂淳之介選手が使用しているスケートボードのデッキはCliche の Junnosuke Yonesakaモデルで、ウィールはLEAPのJunnosuke Yonesakaモデルの51mmとなっています。ベアリングがFizz BearingsでトラックはThunderの145 Hiです。

米坂淳之介選手は、2000年にWorldからシグネチャーデッキをリリースし、2005年にはClicheからJunnosukeシグネチャーデッキの第1弾をリリースしました。シグネチャーデッキとは、プロスケーターの名前が描かれたデッキのことで、プロモデルデッキと呼ばれることもあります。

「New Type」での活動を経てLAやフランスへ

1991年に八王子のスケーター、駒沢公園のスケーター、新宿のスケーターなどによって結成された伝説のスケートチーム「New Type」。その中心的なメンバーとして活動していたのが米坂淳之介、吉田徹、横島ヒデキ、岡田晋などのスケーターたちです。

New Typeは、1991年にスケートチーム単位で日本初となるスケートビデオ「Defeat」を製作し、リリース。その後も2年連続でスケートビデオをリリースし、1995年に日本のスケート史に残る名作「TOKYO ’95」をリリースしました。

米坂淳之介選手は、この「TOKYO ’95」をきっかけにアメリカのデッキブランド・Menaceのボスであるカリーム・キャンベルに誘われMenaceに加入し、本場であるLAで活動しました。

Menaceはその後City Starsと名前を変え、しばらくはCity Starsで活動していましたが、City Starsがなくなってしまったことをきっかけにフランスのスケートボードチーム・Cliche(クリシェ)に移籍します。Clicheでは、フランス10都市を回るツアーにも参加しています。

現在はミュージシャンや指導者としても活動

プロスケーターの米坂淳之介選手は、ミュージシャンとしての一面も持っています。それがJPC bandの一員として行っている音楽活動です。米坂淳之介選手はこのJPC bandでMCを担当しています。JPC bandは8人組のグループで、所属レーベルの宣伝フレーズを借りると日本で唯一の「ヒップホップ・ダブ・レゲエ・ドラムンベース・バンド」だということです。

JPC bandは、2002年4月にアルバム「ぬ」をソニーミュージックからリリースしました。この他にもアルバムを複数リリースし、ライブを行うなど積極的に音楽活動を行っています。また、以前から親交の深い「スモーガス」とおこなっている、風の人presents「KOONI」というクラブイベントは毎回大盛況です。

米坂淳之介選手の2歳年上の兄、米坂真之介選手もまたプロスケーターです。米坂淳之介選手は、43歳の今も現役の選手として活躍していますが、スケートボードの普及活動にも力を入れており、中でも特に子どもたちへの指導に力を入れています。

YouTubeチャンネルでトリックを解説

米坂淳之介選手は、2020年5月にJunnosk8 Channel という公式YouTubeチャンネルを開設しました。このYouTubeチャンネルでは、トリックのコツを解説した動画などが多数アップされています。

動画の中でトリックの解説をしている米坂淳之介選手の語り口は、とても優しく丁寧です。時折ユーモアを交えながらの説明は、子どもや初心者が聞いても分かる内容となっています。トリックの解説動画の内容は、説明しながら動作をゆっくり見せてくれるなどとてもわかりやすく作られており、子どもたちや初心者のお手本になること間違いなしです。

解説しているトリックの種類についても、チックタックのような初心者向けの基本的なものからキックフリップのような上級者向けの大技まで多数揃っています。初心者から上級者まで幅広く活用できるのがこのチャンネルの特徴です。

再生リストを開くと動画が種類別に再生リストで分けられており、トリックのコツを解説している動画は「Junnosk8 オンライン大学」という再生リストの中で現在25本アップされています。さまざまな種類のトリックを解説しているので、トリックのコツを知りたいという方は動画をご覧になってみてはいかがでしょうか。

まとめ

今回は日本を代表する伝説のプロスケーター・米坂淳之介選手についてご紹介しました。米坂淳之介選手は、43歳となる今も現役のプロスケーターとして活躍しています。また、プロスケーターとしてだけではなく、ミュージシャンとしての一面も持つマルチな才能の持ち主です。

スケーターとしてのテクニックはもちろん、その気さくで飾らない人柄は多くの人から高い支持を集めています。
YouTubeなどの動画でも米坂淳之介選手の華麗な滑りを確認できるので、気になる方はぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

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