プロスケーター「ステイシー・ペラルタ」のエピソードや愛用ボードまとめ

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ステイシー・ペラルタは、スケートボードチーム「Z-BOYS」の一員として、新しいスタイルを築き上げたプロスケーターです。では、どのような経歴の持ち主なのでしょうか。スケートボード業界に計り知れない影響を与えた、ステイシー・ペラルタの経歴やスケートスタイルをご紹介します。

ステイシー・ペラルタとは?

プロスケーターのステイシー・ペラルタは、1957年8月15日にアメリカのカリフォルニア州ベニスビーチで生まれ、1968年から幼馴染のトニー・アルバやジェイ・アダムスらと一緒にサーフィンやスケートボードを始めました。

1974年にステイシー・ペラルタはゼファーサーフチームへ加わります。ゼファーサーフチームはカリフォルニアのドッグタウンで立ち上げられたチームです。ドッグタウンはサンタモニカとヴェネツィア地区の通称であり、サーフィンが盛んな場所でした。ゼファーはジェフ・ホウ、スキップ・イングロム、クレッグ・ステシックらが共同経営していたサーフショップで、このサーフショップに出入りしていた子どもたちでチームが構成されたということです。

1975年にゼファーサーフチームからスケートボードチーム「Z-BOYS」が立ち上げられ、ステイシー・ペラルタはオリジナルメンバーの1人として加わりました。「Z-BOYS」のメンバーは人種や年齢を問わず集められ、サーフィンとスケートが好きな人だけが加入しています。

ステイシー・ペラルタ以外には、トニー・アルバやジェイ・アダムスもメンバーに選出されました。トニー・アルバは5歳からスケートを始めており、力強さが特徴のスケーターです。ジェイ・アダムスも同じく5歳からスケートを始め、攻撃的なスタイルを武器にさまざまな技に挑戦しています。

女性1人を含む総勢11人の「Z-BOYS」は、スケートコンテストのベイン・キャデラック・スケートボード・チャンピオンシップで入賞者を出すなど、チームを結成してすぐ結果を出しましたが、ステイシー・ペラルタはなかなか結果を出せませんでした。しかし特訓を重ね、フリースタイルの世界大会で3位入賞を果たします。

ステイシー・ペラルタが「Z-BOYS」で取り入れたスケートスタイル

「Z-BOYS」はサーフィンのスタイルを取り入れており、当時のスケートボード界では異色の存在でした。自由なスタイルでスケートをおこない、スケートボード界に衝撃を与えます。この自由なスタイルがアメリカで人気を集めるようになり、ステイシー・ペラルタを含め「Z-BOYS」のメンバーは雑誌の表紙を飾るなど、活躍の場を広げていきました。従来とは異なるスタイリッシュさや攻撃的な動きが、多くの人に受け入れられたのです。

「Z-BOYS」は、現在のプールスケーティングを始めたチームでもあります。プールスケーティングとは円形の立体的な場所を滑るスケートで、当時平面しか滑らなかったスケートボード界に新しい風を吹き込みました。

立体的な場所を滑れなかった「Z-BOYS」は、他人の家の庭にあるプールをこっそり使い、技に磨きをかけていきました。当時カリフォルニア州は水不足でプールが空であることも多かったため、プールに溜まった落ち葉や泥水を取り除き、家主が留守中のプールを使い、ステイシー・ペラルタらは新しい技を生み出していきます。ジェイ・アダムスに至ってはプールで空中技に挑戦し、スケートボード界の常識を壊していったのです。

「Z-BOYS」解散後のステイシー・ペラルタ

知名度と人気が上がったことで1976年には「Z-BOYS」のメンバーそれぞれにスポンサーがつき、チームは離散します。ステイシー・ペラルタは穏やかな性格と高い技術で人気を博していたこともあり、メンバーの中でも特に大手のG&Sがスポンサーにつきました。

スケートボードブランドの設立

プロスケーターランキング1位となったステイシー・ペラルタは、1976年にスケートボードブランドの「パウエル・ペラルタ」、その後スケートチームの「ボーンズ・ブリゲード」を立ち上げます。「パウエル・ペラルタ」は、スケートボード用品製造者のジョージ・パウエルと共に立ち上げたブランドで、創立30年以上経つ現在でも多くの人に愛されています。スケートボード用品を扱うほか、スケートビデオのマーケティングもおこない、ステイシー・ペラルタは経営面でも能力を発揮しました。

ステイシー・ペラルタは、スケーターの姿をビデオに収めてブランディングするスケートビデオを最初におこなった人物です。一方のスケートチーム「ボーンズ・ブリゲード」は、スティーブ・キャバレロやトニー・ホークなど豪華なメンバーが在籍しています。スケートビデオでは「ボーンズ・ブリゲード」のメンバーを起用し、1982~1991年の間に10本のビデオを発表しました。ステイシー・ペラルタのスケートビデオは、現在のアクションスポーツ映像のビジネスの元になったと言えるでしょう。

映像作品の制作

1980年代に入るとスケートボードの人気はさらに増し「パウエル・ペラルタ」の商品は好調な売れ行きを見せました。特にデッキやウィールはよく売れたようです。デッキはスケートボードの足を乗せる部分、ウィールはスケートボードの車輪部分を指します。

また、ステイシー・ペラルタは、1992年から映像制作に専念します。2001年にはステイシー・ペラルタが監督を務めた「Z-BOYS」のドキュメンタリー映画「Dogtown and Z-Boys」を発表しました。映画では、当時のメンバーや関係者が「Z-BOYS」のことを振り返っています。

サンダンス映画祭に出品された「Dogtown and Z-Boys」は、インディペンデント・スピリット賞を受賞しました。2004年にはサーフィンのドキュメンタリー映画「Riding Giants」を発表し、2005年には映画「Lords of Dogtown」の脚本を手掛けています。

「Lords of Dogtown」は「Z-BOYS」がデビューした当時を再現した映画で、スケートボードや街並みのリアルさにこだわっています。ステイシー・ペラルタが脚本を担当したこともあり、当時の雰囲気をたっぷり感じられるでしょう。創作部分もありますが「Z-BOYS」の歴史が詰まっていてファンにはたまらない作品です。

主人公であるステイシー・ペラルタ、トニー・アルバ、ジェイ・アダムスを俳優が忠実に再現していて、見た目も当時の3人にそっくりです。「Z-BOYS」のメンバーには日本人のショウゴ・クボもおり、俳優が再現しています。なお、このLords of Dogtown は、2006年度のセントラルオハイオ映画批評家協会賞アクター・オブ・ザ・イヤーに輝き、ステイシー・ペラルタの名はさらに知られるようになったのです。

2008年にはロサンゼルスのギャングを取り上げた映画「Crips and Bloods: Made in America」を発表しました。ステイシー・ペラルタは映画監督として活躍し、2008年にはコマーシャルも手掛けています。

ステイシー・ペラルタが与えた意外な影響

ステイシー・ペラルタはスケートボード業界だけでなく、靴業界にも影響を与えました。1976年当時、ステイシー・ペラルタとトニー・アルバはVANSのスニーカー履き口に綿を詰めて、カラフルなデザインを施します。「エラ」と呼ばれるこのモデルは、スケートをする際にも使えるほど耐久性が高く履き心地抜群だと人気を博したのです。

このように、スケートボード・スケートボード用品・スケートビデオ・映像制作・靴と、あらゆる分野で活躍を見せたステイシー・ペラルタは、現在も多くの人に愛されています。「Z-BOYS」として共に過ごしたトニー・アルバやジェイ・アダムスもそれぞれの道で活躍し続けており、スケートボードの礎を築いた人たちの活躍を現在も見ることができます。

まとめ

スケートボード業界に大きく貢献したステイシー・ペラルタは現在映画監督として活躍しながら、スケートボードの魅力を伝え続けています。これを機に「Dogtown and Z-Boys」や「Lords of Dogtown」など、ステイシー・ペラルタの代表作を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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